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大阪地方裁判所 昭和57年(タ)130号 判決

原告(反訴被告)

X

右訴訟代理人

金野俊雄

被告(反訴原告)

Y

右訴訟代理人

峯田勝次

主文

一  被告(反訴原告)の反訴請求に基づき、原告(反訴被告)と被告(反訴原告)とを離婚する。

二  原告(反訴被告)と被告(反訴原告)との間の未成年の子丁(西暦一九六五年五月六日生)の親権者を被告(反訴原告)と定める。

三  原告(反訴被告)は被告(反訴原告)に対し、一二〇〇万円及び内五〇〇万円に対する昭和五八年七月二三日から支払済まで年五分の割合による金員の支払をせよ。

四  原告(反訴被告)は被告(反訴原告)に対し、別紙物件目録(四)の不動産につき、財産分与を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

五  被告(反訴原告)の養育者を定める裁判の申立を却下する。

六  原告(反訴被告)の請求及び被告(反訴原告)のその余の請求はいずれも棄却する。

七  訴訟費用は全部原告(反訴被告)の負担とする。

八  この判決は、三項の内、五〇〇万円及びこれに対する昭和五八年七月二三日から支払済まで年五分の割合による金員の支払を命じる部分に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一離婚請求について

本件は、原・被告双方が離婚を請求するものであるところ、〈証拠〉によれば、夫である原告の国籍は韓国であり、その本国は韓国であると認められるので、法例第一六条により本件離婚は韓国法に準拠すべきこととなる。

そこで、韓国民法によつて本件各離婚請求を検討することになるが、原告は被告の所為を悪意の遺棄(韓国民法第八四〇条第二号)に該当し、かつその婚姻関係を継続し難い重大な事由(同条第六号)があると主張し、被告は原告に不貞行為があり(同条第一号)、かつその婚姻関係を継続し難い重大な事由(同条第六号)があると主張するので、まず、原・被告の婚姻生活の経過について検討を加える。

〈証拠〉によれば次のとおり認めることができる。

1  原告は一九三一年一月二七日、被告は一九三六年一一月一日いずれも日本で出生した韓国人であり、その後、いずれも日本で生活を営んで来た者である。そして、両名は、一九五五年一二月ころ見合いのうえ事実上婚姻した。その当初は、原・被告はこれといつた財産も家もなかつたので被告の実家に同居し、約六か月後に京都市内に住居を得て夫婦で住むようになつたが、そのころ、原告は会社員として勤務していた。

2  原告は、酒を好み、右同居した当初から、毎日酒を飲んでは、日常の些細な事に小言を言い、被告を殴つたり蹴つたりしたので、被告は当初から不満を持つて生活をしていた。

一九五六年一二月一七日には、甲が出生したが、原告は、その後も、酒を飲んでは些細なことで小言を言い暴力を振うので、被告は堪らず、その両親に別れたいと訴えたことがあつた。しかし、両親は、一旦結婚したら別れてはいけない、子供を父なし子にしてはいけないなどと言つて離別を許さなかつた。

3  そこで、被告は堪えて生活するより他なかつたが、一九五八年ころには、原告が大阪市旭区新森に家屋を購入したので、同所に転居し、また、一九六三年ころには原告が会社をやめて電気工事業をするようになつたので、その営業の手伝いをしたりしながら生活を続けて来た。

そして、原・被告間に、一九六〇年一〇月二七日に乙、一九六三年四月二六日に丙、一九六五年五月六日に丁が各出生し、一九六三年五月二二日には原・被告の婚姻の申告を了している。

原告は、一九六四年一一月ころ、大阪府守口市に目録(四)の土地を購入し、翌年、地上に目録(五)の建物(いわゆる文化住宅)を被告名義で建築し、これを他に賃貸するようになり、一九六八年四月ころ同市に目録(一)の土地を購入して地上に目録(二)の建物を建築し、家族で移り住み(従前の住居は他に売却処分)、一九七四年ころには電気工事業をやめたが、一九七九年には右目録(一)の土地の空地部分に、目録(三)の建物(共同住宅)を建築し、これを賃貸するようになつた。このようにして、原・被告は、経済的な側面ではその生活を向上させ、安定した生活を送れるようになつて行つた。

4  しかしながら、原告の酒を飲んでは小言を言い、暴力を振う生活態度は改まることはなかつた。原告の小言というのは常軌を超えた執拗さであつて、同じことを何度もくり返し、時には数時間も続くことがあつた。そして、これに被告が言いわけをし、反発すると、暴力を振い、人前であろうと所かまわず殴打し、コップを投げたり、お膳を引つくり返したり、出て行けと言つてたんすの衣類を外に放り投げることはしばしばであり、一度は包丁を持つて暴れたこともあり、また被告が子供とともに戸外で夜を明かしたことも何度もあつた。

5  そして、子供らが成長するに従い、原告の矛先が子供らに向けられることも多くなつた。

原告は、子供らに対して高等教育を施したく、上級の学校へ進んで欲しいと期待しており、そのためその教育や躾には厳しかつたが、子供らがその期待に答えないため、暴力を振つたことや、勉強しないなら要らないと言つて電気スタンドを壊したり、本を床に投げ捨てたりしたこともあり、そのような粗暴な行動に出ないときでも、原告の注意や説教が事細かで執拗しかも飲酒のうえでなされるため、子供らはむしろ反発を感じるようになつて行つた。そして、これを被告が弁護したような場合には、原告が粗暴な行動に出るので、被告と子供らとは、原告を避けるようにし、互に庇い合い、なぐさめ合つて生活して来た。そのため、被告には子供らにやや甘いと思える振いもあつた。

原告は、子供らに対する教育がその思うように行かず、気にかかるところであつた。甲が、高校の一年のとき家出をして結局その一学期で中退することになり、その後、同人は原告との同居をいやがつたので、そのため被告において前記目録(五)の建物の空室に住まわせることとし、以後、原告と甲とは別居することになつたが、原告はこれを教育上の失敗と観念し、その後他の子供らに対する教育、躾を一層厳しくしようとした。ところが、被告はそのような原告の考え方に批判的であり、子供らを庇護しようとしたため、原告は被告が子供らに対する教育、躾を妨げていると思い、にがにがしく思つていた。

ところで、丁は、小学校における学習の成績が優秀であつたので、原告は高名な上級の学校にやりたいと考え、同人が中学校に入つたころから、いわゆる進学塾である入江塾に通わせた。同塾は原告の住所から遠方にあり、帰宅は深夜となり、また日曜祭日も休みはなく、非常に厳しい塾であり、丁は、当初はよく努力して通つていたのであるが、中学二年生ころから次第に右塾に通うのをいやがるようになり、塾を怠つて友人と遊ぶようになり、また、一九七九年一〇月ころには自転車の使用窃盗で警察から注意を受けたり、翌年四月には盗品のズボンを買つたことで家庭裁判所に呼出されるなど問題行動を起こし、かつ、服装の乱れが目立つようになつた。原告は服装の乱れを非行の始まりとして厳しく叱責し、また丁の問題行動はその交友関係にあるとして、その交際を制限しようとした。しかし、被告は服装とか交友関係にはやや寛容であつたし、原告の叱責があまりに執拗であることもあつて、丁を庇わずにいられなかつた。そうすると、原告には、被告が丁の非行を擁護し、助長していると映り、これが原因となつて粗暴な振まいに及ぶことになつた。このようにして、子供らの教育、躾を原因として夫婦喧嘩となり、これにともなつて原告が粗暴な行動に出ることが多くなつて行つた。

6  被告は、夫婦喧嘩のたびに粗暴な振るまいを受け、一九七七年ころから時折り実家に避難することがあつたが、一九八〇年六月には丁の交通事故に端を発し、原告が飲酒の状態で丁らに対して粗暴な行動に出たことがあり、そのため被告は実家に帰つた。このとき、原告は被告に対し、暴力を振わない旨の誓約書を差し入れたのであつた。しかし、原告の粗暴な生活態度はやまず、同年八月には、被告は目録(五)の建物(共同住宅)の一室に別居したのであつたが、原告はこのとき再度、飲酒しない、暴力を振わないなどと記載した誓約書を被告に差し入れたので、被告は帰宅したのであつた。

7  しかしながら、原告は、同年一〇月一二日、またしても粗暴な行動に出たのであつた。即ち、原告は、同日丁が自転車で数名の友人とともに帰宅するのを見かけたのであるが、その帰宅する方向が予め原告に話していた外出先の方向と逆方向であつたことから丁が原告に虚言を弄したと考えられ、かつ、その友人が服装などから素行不良と思料されたので、その日の夕方丁に注意を始めたところ、被告が丁を擁護したため、原告は激怒し、懲しめの意味もあつて、ステレオのスピーカーを持つて来させてこれをたたき割る挙に出たのである。

そのため、被告は、冷却期間を置き、原告に反省を求めようと考え、同日、原告が二時間ばかり外出した留守中に、子供ら三名とともに、甲の居住する前記目録(五)の建物に転居した。

8  その後、原告は、何度か右建物を訪れ、帰宅を求めたのであつたが、原告が時には飲酒のうえで訪れたこともあり、被告はこれを拒否した。そこで、原告は被告に離婚を求めるようになり、離婚届用紙を持つて行つたこともあつたが、被告の応じるところとならず、時には口論となつて、原告が他の女性を嫁にもらうと言つたのに、被告が「もらえるもんならもらつて見い」と応じたこともあつた。原告は、一九八一年一月に大阪家庭裁判所に離婚調停を申立て、被告は離婚には応じる意思であつたが、財産分与について合意ができなかつたので、同年三月不成立に終つた。

被告は、一九八一年四月には原告の住居からその家財道具を運び出し、既に原告との婚姻を継続する意思はなく、離婚の意思を固めている。

また、原告は、遅くとも一九八二年一月ころにはその住所で他の女性と同棲している。

以上のように認められ、原・被告各本人の供述中右認定に反する部分はこれを採用しない。

そこで、以上の事実に鑑み、原・被告の離婚請求を検討するに、被告は一九八〇年一〇月一二日別居してその後原告の同居請求を拒んでいることが認められるが、これは、原告が著しく程度を超えた執拗で粗暴な行為に出るため、被告においてやむなくそのような行為に及んだものということができ、原告の右所為については、原告本人は子供らの非行化とこれを被告が擁護したためである旨供述するが、子供らに問題行動があり、これに対する対応の仕方に原告と被告とでは大きな差があつたことは認められるが、被告が子供らの非行を擁護したとまでは認められず、この教育上の問題については他の手段があつたはずで、これをもつてその粗暴な所為を正当化することはできず、被告がこれに堪まらず別居したからといつて原告を遺棄したとはいえない。しかしながら、原・被告は右別居以来既に三年以上経過し、双方とも離婚の意思を固くしており、しかも原告は他の女性と同棲するに至つているのであり、原・被告間の婚姻関係はもはやこれを回復し難い程度に破綻しているといわざるを得ないところである。そうすると、原告の離婚請求は、悪意の遺棄(韓国民法第八四〇条第二号)を原因とするものは理由がないが、婚姻を継続し難い重大な事由(同条第六号)を原因とするものは理由あるかのようである。しかし、前述のところから、右破綻については原告に主として責任があるというべきで、日本民法上は、原告の離婚請求は有責配偶者からの離婚請求として許されないものであるので、法例第一六条但書により、原告の離婚請求は許されないこととなる。

しかしながら、被告も婚姻を継続し難い重大な事由を原因として離婚請求をするもので、原・被告間の婚姻関係に右事由があることは前述のところ、被告にその主たる責任があるとはいえないので、被告の離婚請求は理由があり、被告主張のその余の離婚原因を検討するまでもない。

二親権者及び養育者の指定について

未成年の子の親権者については、法例第二〇条によつて、韓国法に準拠すべきところ、同国民法第九〇九条第五項によれば、離婚に伴う未成年の子の親権者は父に限定され、母が親権者となる余地はない。しかし、本件においては、前述のとおり、原・被告間の未成年の子として丁があるところ、同人は原告との同居中から原告を避けるようにしており、原・被告間の夫婦喧嘩にその教育、躾に対する意見の相異が重要な意味を示すに至つており、被告が一九八〇年一〇月に別居するに至つた直接の契機は原告の丁に対する叱責であつて、丁も原告を避けて、右同日被告とともに別居し、以後被告において丁の監護養育をして来ているのであつて、これらに前述の別居に至る諸事情を併せ考えれば、離婚後の丁の親権者は被告とするのが相当であつて、これを原告とするのは相当でないといわなければならない。そうすると、前記韓国民法によつて原告を親権者とすることは、現に子を養育しており、親権者とするに相当な被告からその地位を奪うことになり、引いてはその子の福祉に反する結果を招来するといわなければならず、これは日本における公序良俗に反するものといわなければならない。従つて、本件では、法例第三〇条により韓国民法を適用せず、日本民法第八一九条第二項を適用して、被告を丁の親権者と定めることとする。

なお、被告は、右丁につき、韓国民法第八四三条、第八三七条によつて、その養育者を被告と定める旨の裁判を求めるのであるが、右のとおり、本件では被告を親権者と定めるのであり、この場合重ねて被告を養育者と定める裁判をする必要はないといいうるので、右申立はこれを却下することとする。

三慰藉料及び財産分与について

(1)  被告は慰藉料及び財産分与の請求をするものであるが、そのうち慰藉料請求についてみるに、これは不法行為による損害賠償請求であるから、法例第一一条によつて日本法に準拠するものである。そこでこの観点から検討するに、前記認定の諸般の事情に鑑みれば、原・被告間の婚姻関係がこれを継続し難い状況となつたことについては、前述のように、原告が夫婦喧嘩の際などに飲酒のうえで被告に執拗で非常に粗暴な行為に出たことが重大な原因となるのであつて、子供らの教育や躾などについて、仮に原告本人の供述するように被告に責めるべき点があつたとしてもこれによつて、原告の粗暴な行為を正当化できないのであつて、原告の所為は不法行為に該当するといわなければならず、従つて原告は、離婚のやむなきに至つたことによつて被告に生じた精神的苦痛を慰藉すべき義務を負うものである。そして、右慰藉に要する金額としては、前記の粗暴な行為の態様、期間等諸般の事実を総合すれば、五〇〇万円をもつて相当とする。そうすると、原告は被告に対し、慰藉料として、五〇〇万円及び破綻後の昭和五八年七月二三日から支払済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。なお、右慰藉料については、離婚に伴う損害金ではあるが、既に破綻に陥つた段階で発生しているということができるから、本訴提起後の昭和五八年七月二三日には既に遅滞に陥つていたというべきである。

(2)  次に、財産分与請求についてみるに、これは法例一六条により、本件では韓国法に準拠すべきであるところ、同国法は離婚に伴う財産分与請求権を認めていない。この点につき、被告は、韓国法によつて財産分与を認めないときは日本の公序良俗に反する結果となるので、法例第三〇条を適用し、日本民法を適用して財産分与を認めるべきと主張する。(なお、原告は、財産分与請求につき被告が訴の変更をした点について、これを時機に後れたものであるので許されず民事訴訟法第一三九条第一項により却下されるべきものと主張するところであるが、人事訴訟手続法第一〇条によれば、右民事訴訟法の条項は婚姻事件に適用されないので、右主張は失当である。)

ところで、外国法については、それぞれの国の国情のもとでこれに相応して制定されているのであつて、日本の法理念に反するからといつて直ちにその効力を否定すべきものでないのは勿論であり、これが公序良俗に反するかどうかは慎重に検討すべきものである。そこで、財産分与を認めていない韓国民法の建前について一瞥すると、同国民法には、家父長的家族制度が色濃く残つており、離婚制度を含む婚姻関係秩序についてもこれを否定できず、離婚の場合の未成年の子の親権については前述のように父が当然親権者となり(同法第九〇九条第五項)、その養育責任は原則的に父にあり(同法第八三七条)、また、妻は離婚によりその親家に復籍するが(同法第七八七条)、復籍すればその親家の家族として、戸主の扶養を受ける(同法第七九七条)旨の規定がもうけられている。

法例第三〇条の適用の有無即ち、外国法適用の結果が公序良俗に反するかどうかについては、具体的な事実に基づいて検討することになるが、当事者が右に述べたような外国法上の利益、効果を享受しうるときは、これを慮外に置くことは相当でないので、本件についても、被告が法例の規定により、右韓国民法上の効果を享受(但し、親権者の点は前述のとおり母である被告となるからこれを除く)しうる地位にあることを考慮しなければならない。

そこで更に検討するに、前述のとおり、原告は一九三一年以来、被告は一九三六年以来いずれも日本に居住しているもので、被告は別居以来目録(五)の建物にその子甲、乙、丙、丁とともに居住しており、弁論の全趣旨からいずれも今後も日本に居住する意思であることが認められるところ、〈証拠〉によれば、被告は原告と事実上の結婚以来別居まで、いわゆる専業主婦として生活して来たもので、(但し、原告の電気工事業を家庭内でできる範囲で手伝つたことはある)、勤労によつて収入を得たことはなく、別居後、冠婚葬察に関する会の販売員をするようになつたが手取月五万円位であり、既に四七歳を超え、また一九八一年には高血圧症、メニエル氏症候群で入院したことがあるなど身体は必ずしも健康といえず、今後、より高収入を得ることは困難と認めることができ、現在は前記目録(五)の建物の賃借人約一〇名から賃料合計約一五万円を収受してこれを生活費に当てていること、ところで右建物は被告名義となつているが、これは原告が税務対策として被告名義を利用したにすぎないものであつて、実質的に原告の所有と認められるから、離婚した場合にこれを獲得できないとすれば、これを退去せざるを得ず、その住居及び収入を失うこととなること、前述のように、被告は未成年の子丁の親権者としてその期間はあとわずかではあるがその監護養育に当らなければならず、これに要する費用を原告が負担することは期待できないこと、そしてその子らのうち、甲は未だ針灸学校に通学中であり、乙は就職しているが、丙は専門学校生であるから、その子らの収入を期待することは殆どできず、近い将来においてもこれに期待することはできないこと、被告の実家は、その戸主であつた父は既に死亡しており、実家からの仕送りを期待することもできないこと、以上の各事実を認めることができる。これらの事実に鑑みれば、原・被告が離婚した場合に財産分与を認めないこととすれば、前述の慰藉料並びに韓国法上の効果を受ける地位にあることを考慮に入れても、被告はその住居を失つてたちまち困窮した状況に追い込まれることとなるのであつて、被告に著しく過酷な結果となるというべきである。してみれば、韓国法によつて財産分与を認めないことは、本件の場合、日本における公序良俗に反するものというべきであるから、法例第三〇条を適用して韓国法の適用を排除し、日本民法を適用するのが相当である。

(3)  そこで、分与すべき財産について検討するに、原告は前述のとおり、目録(一)ないし(五)の不動産を所有している(但し、目録(五)については被告名義)。そしてその利用関係は、前述のとおり、被告が目録(四)の土地上の目録(五)の建物に居住し、その内約一〇室の賃借人から賃料を収受しており、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、原告は目録(二)の建物に居住し、同(三)の建物を約八名に賃貸して合計約四六万円の賃料を収受していると認められる。なお、〈証拠〉によれば、目録(四)及び(五)の不動産には極度額一八〇〇万円の株式会社住友銀行(千林支店)の根抵当権が設定されており、その残存債務は約七〇〇万円存在すると認められる。

そして、〈証拠〉によれば、右各不動産の昭和五八年度の固定資産税評価額は、目録(一)が一二〇〇万二〇〇〇円、同(二)が二二〇万五二〇〇円、同(三)が三一〇六万〇八〇〇円、同(四)が一〇一二万九九四〇円、同(五)が三四一万二四〇〇円と認められ、〈証拠〉によれば、昭和五七年度の目録(一)及び(四)の土地の各路線価は、目録(一)が七三(千円単位)、同(四)が七二(同)であると認められる。そして、原・被告各本人尋問の結果によれば、原告は、三光汽船株式会社の株式五〇〇〇株を有し、別居当時においては預金約五〇〇万円を有していたと認めることができる。なお、被告本人は原告がその子供名義のものも含めて一八〇〇万円の預金を有すると供述するが、これを裏づける資料はなく、これを直ちに採用することはできない。

然して、以上の原・被告の財産の保有、利用状況、その形式に至る被告の主として主婦として貢献並びに原・被告の将来の生活能力などに鑑み、特に、被告が目録(五)の建物に居住しその部屋を賃貸した収入をもつて被告らとその子供らの生活の糧としていることを重視し、離婚に伴う財産分与としては、被告に目録(四)及び(五)の不動産及び現金七〇〇万円を分与するのを相当とする。〈以下、省略〉

(松本哲泓)

物件目録〈省略〉

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